再々入院記1

再再入院記(絶望編)

はい、というわけで再再入院記です。3度目の入院ですね。ここんところ、入院記しか書いてないな。若干長いですがお付き合いいただけますよう。

#プロローグ

予兆は退院した翌日の日曜からあった。前かがみになると胸で空気が動く音がするのだ。そして息苦しい。この時点でかなり不安な気持ちになったが、月曜日のThe Whoの来日公演だけはどうしても行きたい。そのためには会社を休むわけにはいかない。というわけで、調子が芳しくない中も仕事をし、終わった後に武道館へ出向く。興奮したせいか、気分も良くなりその日はなんとかやり過ごした。

翌日の火曜日、近くの医院でレントゲンを撮る。祈るような気持ちで結果を待ち、告げられた内容は…セーフ。心底、胸をなでおろした。だがしかし、そうなると、この症状の説明がつかない。気にしすぎ?確かに前回は1ヶ月という短い期間で再発をしているわけで、そのくらい神経質になっていてもおかしくはない。いずれにしても、この病気はレントゲン診断が全てだ。自分の目でも写真を確かめたから間違いない。治癒後に若干息苦しさが残るケースもあるようだから、そのうち良くなるだろう、と自分に言い聞かせた。

こんな調子で数日をやり過ごしたが、もしかしたら、日に日に少しずつ空気が漏れて出していて病状が進行しているかもしれないという懸念がどうしても頭から離れない。そして、金曜日の夜、俺はあの忌まわしき病院の救急外来窓口に立つのだった。


#11/21(金)

医師に病状を話しレントゲンを撮る。不本意ではあるが、もはや手馴れたものである。この日は息苦しさが随分と軽減していたこと、また指先で測る酸素飽和度は98%で正常だったことが気持ちを緩ませていた。恐らく問題ないだろう。今回のレントゲンが今後の日常生活を安心して過ごすための証明になってくれる。そう信じていた。

医師に現像したレントゲン写真を手渡し、ひとまずは待合室のベンチに冷静な面持ちで座る。すぐ隣の診察室で医師がレントゲンをセットする音が聞こえる。「あー…」え?なにその嘆息?問題ないんだよね?あーってなによ、ちょっと!とてつもなく嫌な感じ!

「酒井さん、これはダメだね」医師から告げられたその一言は俺を奈落の底へ突き落とした。

絶望感。まさに絶望とはこのことだ。こんなことなら変な希望など持つんじゃなかった。頭が混乱し、整理がつかない。ただ、一つだけはっきりしていることがある。ここで俺がダウンしてしまうと、仕事に大きな支障が出てしまうが、明日さえ出勤できれば何とか乗り切れる。なぜ俺は診察を明日の退勤後にしなかったのか、今日は調子が良かったんだから、もう一日延ばすべきだった。しかし、いまさらそんなことを言っても始まらない。仕事のパートナーに電話をし相談する。その結果、明日は外出許可を取り、出来る限り出勤するという結論に至ったのだった。

トロッカー(金属の管)を脇腹に挿した翌日の痛みと辛さは過去二回の経験でよく分かっている。しかし、ここは無理をしなければならない局面だと割り切ることにした。当然医師はそれを許さず、少し揉めたが、最終的には何があっても自己責任ということで外出許可をもらうことができた。

その後、一旦帰宅をし入院準備。こんなこともあろうかと、あらかじめ入院用の荷物がまとめてあったため至極スムーズに準備は終わる。家人の用意周到さに対して半ば呆れ、半ば感謝し、また自分への情けなさもあって、実に妙な気持ちになった。

病院へ戻ると、お約束のトロッカー挿入だ。回数を重ねるごとに不安が増しているように思う。そして、今回の施術は以前二回行なった先生とは違う方。なんと、あろうことか、研修医なのだ!(もちろんベテラン医師がフォローについてはいるが)。外科医にしてみれば初歩の術式であることは分かっているし、研修医が経験を積む機会がなければ日本の医療の将来だって危うい。でもさ、何も俺じゃなくてもいいじゃん!スーパーで研修中のバイトのレジ打ちに当たっちゃうのとはわけが違うんだよ!ツイてないにもホドがあるわ。

なんて、じたばたしてモンスターペイシェント扱いされるのも不本意なので、不満はぐっと飲み込む。黙って服を脱ぎ、寝台に横になる。もはやまな板の上の鯉である。いつものように麻酔をされ、いつものようにぐりぐりと挿管される。過去二回よりも明らかに時間がかかったが、丁寧ではあった。さすが研修医。

その後は車椅子に移り、再びレントゲンで確認。しかし、この途中でヤツが来た!そう、初回10月のトロッカー挿入時にも俺を襲った低血圧症状である。吐き気、めまい、痛み、悪寒。最悪だ。もう一度言う。最悪だ。これだけは本当に勘弁してほしい。脂汗をだらだら流し、比喩でもなんでもなくズブ濡れになって病室に到着。看護婦に「やだ、泣いてるの?」なんて言われるほど。泣いてねえよ!汗だ汗!暴れるぞババア!と思ったがそんな元気があるわけもなく「…汗です」と蚊の鳴くような声で返事をするのが精一杯であった。

その後、若干落ち着きを取り戻したものの、とにかく痛い。まったく眠れない。ただ、これはもう耐えるしかない。知ってる。分かってる。しかし、こんなんで明日仕事にいけるのか。確実に無理だろうな…。

とりあえず、この痛みには皆様お待ちかねの座薬である。今回の座薬挿入ショーは今までにないくらい恥辱にまみれていた。あまりの痛みで横を向くことすらできないため、仰向けになったまま挿入するしかないのだ。つまり、下着をひっぺがされ足を持ち上げられ肛門をあらわにする。正常位。しかも看護婦二人がかり。ちんこと肛門と金玉をいっぺんに看護婦二人に見られた。そんな恥辱に耐え、痛みはほんの少しだけ下り坂に向かうのだった。

そのうち、同室のバカがなにかを食いだした。がさがさ ぺちょぺちょ がさがさ ぐちょぐちょ。うるせえ!夜中の1時過ぎだぞ!くそったれ豚野郎が!死ね!痛みは怒りを増幅させた。そして、同時に強い痛みがすぐにぶり返してきた。先ほどの座薬もほとんど効果なしか。

結局トロッカー挿入後はどの薬も大して効かないんだ。もう我慢するしかない。痛い痛い。これまでもこんなに痛かったっけ。とりあえずどうしようもないので、もう一発座薬を挿入してもらう。もうどうでもいいです。痛くて痛くて恥ずかしさなんて微塵も感じません。これが正直なところ。

あとは精神力で乗り切るしかない。痛みに対しては強気でいくのがいい。受け身だと耐え切れない。もっとこい、おらバッチコイ!なんなら体動かしちゃうよ?そりゃ痛いよ、痛いけど、あとあと楽なんだ。じっとしてるとダメなんだ。これは経験上分かっている。怖がってはいけない。いくぜ俺!動くぜ!ぐああああ!いででででで!とまあ、こんな感じでほとんど一睡も出来ず、わけのわからないテンションのまま朝を迎えるのであった。


再再入院記(出勤編)

土曜から月曜までの3日間を。

#11/22(土)

朝一番でレントゲンを撮らねばならないのだが、それが試金石となる。ここで歩いて検査に向かえるようなら会社にも行けるだろう。意を決してベッドから起き上がる。思いのほか痛みは引いていた。それなりに痛いながら歩くこともできる。これなら出勤できる!

その後は朝食を食べ、医師の最終許可を待つ。10時過ぎに医師が来てドレーン(脱気の機械)からチューブを外す。簡易的な脱気の器具のみが体からぶら下がっている状態になり、外出が可能となった。その器具には逆止弁がついてはいるが、外気と胸腔内が直接繋がっている状況なわけで、感染リスクが高いという。もしそうなっても自己責任であることは念を押された。

外出願いの書類にサインなどし、コートを羽織りタクシー乗り場へ。さすがに電車と徒歩は無理である。タクシーが揺れるたびに痛みを感じたが、我慢できないほどではなかった。

ほどなく会社へ到着すると、スタッフに無用な心配をかけないよう軽口を叩き、いつもどおりに業務をこなした。正直、痛みに関しては、この時点で過去2回の経験からは想像もつかないくらい軽くなっていたため、個人的にそれほど無理をしたという感覚はない。夜中に体を動かしたことや、研修医による丁寧な挿管が功を奏したのだろうか。

いずれにしろ、結果的に出社したという事実は今後いろいろと利用できる。つまり、上司の俺がこんなにボロボロの状態でも出社したんだから、お前らも小さなことで弱音を吐くんじゃねえという論理。既成事実というのは恐ろしいものだ。ほほほ。そんなこともあり、あんまり平気な顔をし続けると、その効果が半減するので、ときどきは痛そうにしてみた。まあ、痛み止めが切れた15時過ぎは本気で厳しかったが。

特にトラブルもなく18時過ぎに退勤。コンビニでしこたまお菓子を買い込み、タクシーを拾う。夕食は抜きにしてもらっていたので、病院のレストランで食べようと目論んでいたが、土曜は18時で閉店であった。完全にアテがはずれた。美味いラーメンでも食ってから帰るんだった。仕方なく売店でマズそうな弁当を買うが電子レンジがない。冷たく、まずい弁当というのは実にわびしいものだ。


#11/23(日)

7時前に起床。むしろ昨日より痛みが強い。食前だが痛み止めのロキソニンを服用して持ちこたえる。午前中に昼寝をし、下半身のみシャワーを浴びる。案の定痛くてトレーナーを脱げずに難儀した。ただ、その後は普通にしていれば問題ないレベルにまで落ち着く。

また、この日から蓄尿を開始。瓶に自分の尿を溜め、それを自分にも他人にも見られるなんてあまり気分のいいものではない。と思ったらここの病院はもっと近代的な装置で、自分の番号を押すと投入口が開き、そこに流し込むだけのものだった。

普段、尿量など計らないので、これはこれで楽しいものである。とりあえず、膀胱という器官は250〜300ccで尿意を感じるということがわかった。

午後になり、同室のお隣さんのところに母親と娘が見舞いに来る。2歳だそうで、見慣れない場所に来て興奮したのか、もう大騒ぎである。ふとガキがカーテンの隙間から俺のベッドを覗き込む。俺も大人なので(ぎこちなく)ニコっと笑顔を作るも「ギャーっ」と叫び、泣きはじめる。クソが…これだからガキは嫌いなんだ。親も「しーっ」などと、一応は静止するのだが、2歳のガキがそんなもの聞くか。そもそも病室に連れてくるな、食堂に行けよバカ親め。しかし毎日これじゃ先が思いやられるな。

15時ごろに友人のDirkDiggler氏とお味噌汁ガブ夫氏が見舞いに来てくれる。なんと、大倉山の名店、クール・オン・フルールのケーキを4つもおみやげに!素晴らしい。遠慮なく4つ全てを平らげてしまった。見舞いのケーキってのは格別に美味く感じる。タダだからだろうか。


#11/24(月)

7時起床。

午後、隣にまたガキが来る。いつかの騒音引越し騒動がフラッシュバックする。最悪だ。ストレスがたまる。耐え切れず、看護婦へ陳情を伝えやんわり注意してもらった。それなりに恐縮していたようなので今後に期待しよう。

15時ごろ学生時代の友人二人がお見舞い。10個入りのどら焼きなどをいただく。そんなに食えるか!

音楽の話などしながら差し入れのペプシNEXを飲むが、カフェインの利尿作用は実に強烈。トイレに立ち、カップに向けて尿を放出する。カップになみなみと注がれていく俺の尿。しかし止まらない止マラない。カップの容量と俺の尿量、どっちが勝つか、まさにチキンレースであった。結局600ccギリギリでカップの容量が勝ったのだが、どっちが勝ったとか、ほんと意味が分からんわ。

夜、主治医と今後について相談。患部であるブラ(弱くて破れやすい肺胞)が太い血管の近くの難しい位置にあり、胸腔鏡での手術は難しいため、ほぼ開胸は避けられないだろう。また、ブラの形状によっては切除や結紮(けっさつ)が難しい場合もある。その場合は該当部位に保護膜を貼って強度を増す方法を取る。いずれにしても、開いたはいいが何も出来ずに再び閉じるようなことはなさそうだ。明日までに手術するか、三度自然治癒にするかを決めて伝えてほしいとのことだった。

その後、19時半ごろ会社の同僚4人が見舞い。今度は俺が愛してやまないエーグル・ドゥースのケーキ。今回は1個だけどね。嬉しい嬉しい。さらにコンビニで買った大量のお菓子もいただく。見舞い客は皆で結託して、お菓子責めで俺を太らせる気だろうか。いまさら太っても気胸が良くなるわけはないのだが。